松坂大輔と同姓同名、中学でノーヒッター ネット中傷に嫌気も…支えた“祖母の思い”

更新日:2026.07.03

文:川浪康太郎 / Kotaro Kawanami

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“松坂フィーバー”の1998年に生まれた野球指導者・松坂大輔さん

“平成の怪物”がフィーバーを巻き起こした1998年、岩手の地でもう一人の“松坂大輔”が誕生した。岩手・盛岡市のトレーニングジム「GroWin」で野球を指導する松坂大輔さん。1998年9月生まれで、父親が野球好きとあって、同年8月に横浜高で甲子園春夏連覇を成し遂げた「時の人」と同姓同名になるのは必然だった。名前を重荷に感じながらも社会人まで野球を続け、現在も野球と携わっている。

 盛岡市出身の松坂さんが野球を始めたのは小学1年生の頃。近所のグラウンドで“無双”する当時小学生の大谷翔平(現・ドジャース)と、プロ野球の試合で球場を沸かせる清原和博(当時・巨人)を目の当たりにしたのがきっかけだった。

 中学時代に投手としての才能が開花。制球力と精度の高い変化球を武器に、中学3年間で通算防御率1点台をマークしてノーヒットノーランも達成した。その頃までは自身の名前を「覚えてもらいやすくていいな」と好意的に捉えていたが、一関学院高に進んでからは潮目が変わる。

 高校では怪我の影響もあり、思うような結果を残せずにいた。決定的だったのは高校2年秋の県大会準決勝。盛岡大付高戦で救援登板した松坂さんは1回もたずに降板を余儀なくされた。「名前のわりに大したことない。普通の高校生だな」。試合後、インターネット上にそんな言葉が並ぶのを目にしたのを機に、「自分の名前が嫌だと思い始めた」。

祖母の思いが詰まったトレーニングジムを今年2月にオープン

2月にオープンしたジムで投球指導をする様子【写真:本人提供】

 青森中央学院大に進学した後はまたしても怪我に見舞われ、名前と実績はますます乖離していった。リーグ戦では登板するたびに相手ベンチなどから野次が飛ぶ。野球に嫌気がさし始めた矢先、父親が病気で倒れたタイミングも重なり、大学を辞めるかどうか迷いが生じた。

 そんな時、支えてくれたのが祖母だった。「お金は出すから4年間野球を頑張って、教員免許も取って大学を卒業しなさい」。そう背中を押され、「俺って何をしているんだろう?」と自分自身を見つめ直した。その後は息を吹き返し、無事大学を卒業した後はクラブチームのハナマウイで26歳まで白球を追った。気づけば、名前に対する苦悩は一切なくなっていた。

 プロ野球選手になる夢は叶わなかったものの、現役引退後は指導者の道を歩み、今年2月には地元で野球に特化したジムをオープンした。このジムは、農業に従事していた祖母がかつて使用していた倉庫を改修したものだ。

 祖母は2年前に他界した。亡くなる半年前、すでに使われなくなっていた倉庫を改修して野球指導の場にする構想を伝えると、「何それ?」と笑うだけだった。だが、松坂さんの母親には「大輔が使うなら(倉庫を)整理しないとね」と言って張り切っていたという。結局、「それは甘え。自分で一生懸命作り上げるからこそ気持ちが入る」と松坂さんが自らの手で作り上げたが、祖母の思いは確かにここにある。

「おばあちゃんがいなかったら今の自分はいないと言ってもいいくらい、偉大な存在です」と松坂さん。祖母がつなぎ止めてくれた野球の道。松坂大輔はこの道を歩み続ける。

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