公立名将の決断「教員辞めました」 嫌だった土日練習も…放課後“閑散”「ちょっと寂しい」

文:高橋幸司 / Koji Takahashi

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中学軟式の強豪・上一色中の西尾弘幸監督が語る、運命を変えた“生徒の熱意”

 大人の働き方と共に、生徒の意欲とどう向き合っていくのかも問われている。教員の労働時間や少子化対策を背景に、公立中学校を中心に進められている、部活動を地域のクラブなどに委ねる「地域移行」。各学校・地域で模索が続くが、中学軟式の強豪、東京・江戸川区立上一色中学校野球部を率いる西尾弘幸監督は、この春に1つの決断をした。「教員は辞めました」。令和の野球のキーマンを取り上げる「球界のミライをつくる“先駆者”たち」。今回は、公立中学の名将の今を取り上げる。

 西尾監督率いる上一色中は全国大会の常連校で、2022年の全日本軟式少年野球大会で初の日本一に輝いた。持ち味は強力打線で、都会の公立学校ならではの狭い校庭にケージやネットを張り巡らせ、7か所の打撃練習スペースを作って自慢の攻撃力を磨いている。

 現在の部員は76人。平日放課後に訪れると、校庭は練習に打ち込む生徒たちの熱気に包まれていた。しかし、西尾監督はある変化を口にする。「教員の働き方改革により、部活が精選されてきています。他の部と(校庭を)共有する日はなくなりました」。今年度から野球部の練習も、週の2日間を休みにしている。

「『校庭が自由に使えていいですね』なんて言われますけど、放課後の校庭が閑散としているのは、ちょっと寂しい気持ちになります。その昔は、若い先生は生徒と一緒になって部活に取り組み、お互いに成長していく。それが当たり前だったけれど、今の時代には当てはまりません」

 教員の過重労働対策はもちろん大事だ。一方で、「もっと練習したい」「仲間と上手くなりたい」「この先生の下で教わりたい」という生徒の思いにはどう応えていけばいいのだろうか。

 西尾監督は3月いっぱいで44年間勤めた教職を辞め、クラブチーム「K1BC」(カミイッシキベースボールクラブ)を立ち上げた。土曜日の活動は「K1BC」として、学校外で行っている。自身は、部の活動日は“部活動指導員”の立場として、「K1BC」では7人のコーチ陣と共に、選手指導にあたる形だ。

「K1BCではスタッフへの報酬のため、月会費を集めています。スタッフの中には『半日の活動であれば無償でよいです』という方もいますが、甘えることはできません」

野球を教える気は皆無も…毎日「顧問になってくれませんか」

打撃練習に打ち込む選手たち【写真:荒川祐史】

 公立の名将として名を馳せてきた西尾監督だが、実は、中学教員になりたての頃は「土日も練習なんて勘弁してくれ、という感じでした」と笑う。それを変えたのが、1人の生徒との出会いだったという。

 監督自身の選手としての野球歴は、実は中学までしかない。だから、学校で野球を教えたいという考えは微塵もなかった。野球部の前の顧問歴も他の競技ばかりだ。

 運命が変わったのは1988年、渋谷区立笹塚中に赴任した時だった。「先生、顧問になってくれませんか」。担任を受け持つクラスの生徒が願い出てきた。彼は野球部の主将だった。

「前任の先生が異動してしまって顧問がいないと、毎日下駄箱の前に立ってお願いしてくるのです。その前にいた学校は大会以外、週末の部活がなかったのですが、聞けばここでは土日も練習があると。もう嫌でしょうがなかったんですけどね(苦笑)」

 主将の熱意に折れて顧問に就任。これが、名将・西尾監督の出発点となる。ちなみにその生徒とは、のちに桐蔭学園で甲子園に出場し、立大、社会人野球ENEOSで主将を務めた横川義生さん。「義生に出会わなければ、今の自分はない」と指揮官はしみじみと語る。

 そこからは、まさしく生徒と共に試行錯誤をし、成長してきた。1994年に赴任した江戸川区立小松川第三中では、12年間で都大会優勝5度、準優勝4度。2006年に異動した上一色中でも、少しずつ現在の練習環境を整えて実績を積んだ。全国中学校体育大会(全中)で2度の準優勝、そして2022年の全日本少年軟式野球大会で日本一に輝いた。

「もう少しでいいですから、練習をやらせてください!」

狭い校庭を有効活用し練習に臨んでいる【写真:荒川祐史】

 西尾監督の教え子からは横山陸人(ロッテ)、深沢鳳介(DeNA)の2投手がプロ入りを果たした。現在も千葉・専大松戸や茨城・土浦日大、神奈川・慶応など、強豪高校に進学しレギュラーとして活躍する選手が多い。硬球はハードルが高いと感じる子の受け皿として、そして人材育成の場として、中学軟式が持つ役割の大きさを感じる。

 西尾監督にはもう1つ、教員生活で忘れられない場面がある。コロナ禍で制限されていた部活が“解禁”となった日のこと。練習の途中から土砂降りの雨になり「もう上がろう」と声をかけたが、選手たちはこう懇願してきた。「もう少しでいいですから、練習をやらせてください!」。

「彼らはこんなに野球が好きなのか。自分ももっと勉強して、変わっていかないといけないな、って思いました」

 生徒の熱意に心動かされ、一緒に学びながら歩んできた監督人生。次は、先生と生徒の間柄とは違った新しい形で、時代に対応しながら、中学生たちと向き合っていく。【後編に続く

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