中学軟式の強豪、東京・上一色中の西尾弘幸監督が「強力打線」を志向する原点
野球選手としての経験が中学までしかない“異色の経歴”ながら、公立中学校の名将とまで呼ばれるようになった要因とは何か。2022年に日本一に輝くなど、中学軟式の強豪として知られる東京・江戸川区立上一色中学校を率いる西尾弘幸監督は、毎年のように強力打線を育て上げ、全国屈指の強豪として名を馳せている。令和の野球のキーマンを取り上げる「球界のミライをつくる“先駆者”たち」。今回は、名将の指導論に迫る。【前編はこちら】
上一色中学校野球部は、独特のY字型をした狭い校庭を有効活用し練習を行っている。校舎や選手の安全面を配慮し、防球ネットやフェンスをケージのように張り巡らせ、マシンや投手相手、置きティー打撃などの練習スペースを設け、選手たちがローテーションでボールを打ち込んでいく様子は壮観だ。
練習中、西尾監督が大声を張り上げることはほとんどない。「以前は『何やってんだ! 話聞いてんのか!』ってガミガミやってましたけどね(笑)」。ポイントとなるところで声掛けをしたり、選手を集めて説明をしたりはするが、静かに見守る時間帯が長い印象だ。
自主性を尊重し、要所で適切なアドバイスをしていけば選手は自然に育つ。これまでの経験と、野球ができなかったコロナ禍の期間を経て悟ったという。実際に、選手たちは自ら意欲的に練習に取り組んでいることが、活気からも伝わってくる。前向きに自走できているチームは、見ていて楽しい。
上一色中は「強力打線」が代名詞。2022年、初めて日本一に輝いた全日本軟式少年野球大会で、最速143キロ(当時)右腕・森陽樹投手(聖心ウルスラ学園聡明中、現大阪桐蔭高)を打ち崩したのは象徴的な試合だ。それにしても、なぜ西尾監督は攻撃野球にこだわるようになったのか。それは、前任の江戸川区立小松川第三中時代の悔しい敗戦が出発点だという。
「もう20年くらい前かな、秋の都大会決勝で修徳中と当たって0-17で負けたんです。打撃がものすごくて、なかなかチェンジにならなくてね。選手たちは泣きながら試合をしていました。その時に、『バッティングを強化しないとダメだ』って強く思いました」
現在の練習風景からは想像もできないが、2006年に上一色中に異動した時は、支柱が腐食したティーネット1台しかない環境からスタートしたという。保護者たちが一丸となってチームを支えてくれ、今の環境が少しずつ出来上がり、攻撃力が磨かれ日本一として花開いた。「ありがたかったですね」と指揮官は感謝する。
選手としての野球経験が“浅い”からこその「学ぶ姿勢」
西尾監督が練習中、選手を集めた数少ない機会の1つが「スピンバット」の説明だ。ヘッドの部分が平面の、カヌーのオールのような形をした練習用具で、ソフトバンク・近藤健介外野手がキャンプで使用し話題となった。選手の1人は、「早く手首を返さずにボールを面でとらえる感覚をつかみやすい。これを振ってから実戦的な打撃練習に移っていきます」と説明してくれた。
西尾監督はとにかく、新しい情報収集に貪欲だ。それは、自身の選手としての経験が“浅かった”からなのかもしれない。
その経歴は実にユニークだ。東京・足立区生まれ。小さい頃は公園での手打ち野球に興じ、中学時代は捕手を務めたが、高校からは全くの別世界に転じた。シンガーソングライターだ。「ラジオやテレビにも出たことがあります。前田武彦さんの番組でギターを弾いて歌って、優勝もしました(笑)」。
その後はまた別の世界にハマった。芝居の魅力にのめり込み、志したのは演劇の台本を書く脚本家。教員採用試験を受けたのも、高校の先生であれば比較的時間を作れて、執筆を兼務できると考えたからだ。
ところが、高校教員の枠がなく、より忙しい中学教員で採用されたのは“誤算”であり“幸運”でもあった。この春、44年間の教員生活に区切りをつけたが、荷物を整理した際、「昔書いた台本が大量に出てきてビックリしました」と笑う。
野球経験の浅さを補完したのは、学ぶことへの意欲だ。本を読み、情報を仕入れ、気になる指導者の下には直接足を運んだ。影響を受けた1人が、石川・遊学館の山本雅弘前監督だ。
「練習見学に行きましたが、正直、驚きました。選手たちは先生が考案した練習メニューを自主的に取り組んでいて、“やらされている感”が全くないのです。そして、打撃の順番を待っている選手たちはベリーダンスをしている。これは専門家から“本物”の指導を受けたそうです。山本先生は『ベリーダンスの動きはバッティング動作に通じるものがある』と説明してくれました」
さらに、こう続ける。「遊学館の監督を辞められた後にもお会いする機会がありましたが、今でもめちゃくちゃ勉強している。話にどんどん引き込まれ、『これだけ勉強をして進化している山本先生を見習わなきゃ』と気持ちが奮い立ちましたね」。
以前は、生徒に「この前と言っていることが違う」と指摘されるのが怖かった。しかし今はそれが、固定観念にとらわれず、学び成長している証拠だと確信している。学んでいる指導者は、選手たちにも魅力的に映るはずだ。その中で自分に合う技術を探し、積極的に身に付けてくれればよいと西尾監督は考えている。
「野球を通して出会った人たちが最高でした」
1988年、赴任した中学校で生徒に請われ野球部の顧問になった当初は、「土日も練習なんてゴメン」と思っていた。それが、白球の世界にどっぷりとのめり込み、中学軟式の名将と呼ばれるまでになった。「それは野球もそうですし、野球を通して出会った人たちが最高だったからですよ」と西尾監督は語る。
「いろいろな野球人と出会って、たくさん話をして、勉強して、そこからまた広がっていく“球縁”が楽しいんですよ。これからもっとつながりを増やして、どんどん楽しみたいと思います。大学にも勉強に行くつもりでいます」
生徒たちにとっては中学野球がゴールではない。高校以降も少しでも長く野球を続け、選んだ道の中で輝いてくれることが何よりの願いだ。西尾監督はこれからも、さまざまなことを学び、変化し、選手たちにフィードバックしてくれることだろう。
西尾弘幸監督も参加…無料登録で指導・育成動画250本以上が見放題
西尾弘幸監督も参加する野球育成技術向上プログラム「TURNING POINT」(ターニングポイント)では、無料登録だけでも250本以上の指導・育成動画が見放題。First-Pitchと連動し、トップ選手を育成した指導者や、元プロ野球選手、育成世代を熟知する指導者らが、最先端の理論などをもとにした確実に上達する独自の練習法・考え方を紹介しています。
■専門家50人以上が参戦「TURNING POINT」とは?
■TURNING POINTへの無料登録はこちら