常総学院の部長・松林康徳氏が語る伸びる選手の特徴とは
茨城県の名門・常総学院は、春夏合わせて26回(春10回、夏16回)の甲子園出場を誇る。子どもたちの指導法を深堀りするFirst-Pitchの連載「ひきだすヒミツ」では、2003年夏の甲子園優勝時の主将で、現在は同校部長として選手を導く松林康徳氏に話を伺った。近年もプロに選手を送り出している松林氏が見てきた“伸びる選手”の共通点は「支えたいと思えるかどうか」という人間味にあるという。
2008年から母校・常総学院で顧問、コーチを経て2016年から部長を務める。監督と選手の“橋渡し”役として、打撃投手などの練習の手伝いから進路相談まで様々な役割をこなす。選手たちには「なぜ常総学院を選んだのか?」と問う。
「ひとりで成長したいなら、独学でやればいいんです。この環境、この指導者の元で成長したいと思って来ているはずですから」
県内外問わず様々な地区でトップの中学生が集まる。毎年多くの新入部員が入り、レギュラーを取るのは難しい。だからこそ、「こいつをサポートしたい」と指導者が思ってもらえるような人間になることが大事だという。「指導者も人間ですから。応援してもらえたほうが選手にとっても得なんです」と語る。
自身も入学前の中学3年生の時、練習見学で故・木内幸男監督に「身の丈に合った学校に行きなさい」と諭されたという。
「なにくそと思いましたよね。でも、それが逆に常総学院に行きたいという気持ちが強くなったかもしれません」
同期で、のちに阪神などで活躍した坂克彦氏は1年からレギュラー。一方の松林氏は名前を覚えてもらうことからのスタートだった。「わざと木内監督の前で背中の名前を見せて打撃練習とかしていました」と笑う。
必死で食らいつく姿は、徐々に実を結ぶ。2年の6月に怪我をしたときに、当時部長を務めていた大峰真澄氏が、マメがつぶれていた松林氏の手のひらを見て、木内監督に進言。試合に出れない期間でも、背番号を貰い三塁コーチャーを任せられた。3年夏には主将、「4番・一塁」で甲子園出場。決勝で当時2年だったダルビッシュ有投手(パドレス)擁する東北高を倒し、日本一に輝いた。