県境またいで走って買った「たい焼き」 日本ハム・杉谷をプロへ導いた思い出の練習

両打ちに加え、内外野を守れるマルチ選手
打てばスイッチヒッター。守っても内外野、様々なポジションをこなしてみせるあの選手も、かつては少年野球の選手だった。プロ野球にたどり着くまでには、上手くなりたいと様々な練習に取り組んできたはずだ。今回は日本ハムの杉谷拳士内野手に、少年時代を振り返ってもらった。
杉谷選手は「とにかく走っていたことですね。毎日です」と懐かしそうに振り返る。小学校2年から中学校3年まで、ほぼ休みなく続けた。「野球選手になるまで続ける」と両親に宣言してのことだった。「もちろん基礎体力がつくこともありますけど、それよりも1つのことをやり切るという経験が、どんな場面でも必ず活きるんです」と言い切る。
いろいろなパターンがあった。朝6時前に、少年野球チームが練習に使っていたグラウンドに行き外周を走ったこともあれば、住んでいた東京・練馬区から埼玉県の朝霞市まで、7キロ程のランニングも。証拠に、着いた先で売っていた「たい焼き」を買って帰るのがお約束だった。
父・満さんは、日本フェザー級の元チャンピオンという実績を誇るボクサーだった。杉谷選手の少年時代には引退してトレーナーになっていたものの「オヤジがトレーニングを見ている選手たちのロードワークには、速くてついていけませんでしたね」と頭をかく。
野球の技術では素振りも日課だった。あっという間に近所の名物少年となり、最初は怒られていた駐車場でのスイングも、気が付けば怒られなくなった。
「バドミントンの羽根も良く打っていましたね。しっかり引き付けないと前に飛ばせませんから。遊びの中から身についた野球の感覚は、今にも生きていると思います」
楽しみながらも、決めたことをやり切ったという経験が、その後の成長の源となっている。
(羽鳥慶太 / Keita Hatori)