「勝手に前に行っちゃえ」 ID野球もすんなり理解…“考える習慣”が生んだ伝説の好守

公開日:2023.05.25

文:片倉尚文 / Naofumi Katakura

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飯田哲也さんは1991年から7年連続GG賞…野村監督のコンバートが名手を生んだ

 現役時代に走攻守3拍子揃った外野手として活躍した飯田哲也さん。ゴールデングラブ賞を7度受賞した守備力は圧倒的で、1990年代に黄金時代を築いた“野村ヤクルト”に欠かせぬ存在だった。捕手として入団し、野村克也監督により二塁、外野へとコンバートされ才能を開花させたが、守備ではどんな努力をしていたのだろうか。

 飯田さんは中学まで投手や遊撃手を務め、千葉・拓大紅陵高に入学して外野へ。1年秋から左翼のレギュラーを掴んだ。2年秋にはチーム事情から捕手へ。高3時の1986年に春夏連続で甲子園に出場するなど強肩捕手として鳴らし、同年のドラフト4位でヤクルトに指名され、入団した。ただ、「プロで捕手ができるとは思っていなかった。やっていましたけど」。キャリアも浅かった捕手というポジションに“違和感”を抱いていた。

 転機は1990年に野村克也さんが監督に就任したこと。同年は主に二塁を務め、翌1991年には外野にコンバートされた。これがはまり、まさに水を得た魚のような活躍。同年から7年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。「外野にはすんなり入れました。最初から全く問題はなかったです」。まさに適材適所のコンバートだったが、練習では工夫を凝らしていた。

「とにかく、打球はずっと追いかけていました」。ノックで打球を受ける練習だけではない。フリー打撃で守備に就き、生きた打球を受けることに努めた。春季キャンプなどでは同僚選手の特打に付き合い、ずっと外野の守備に就いてボールを追ったという。

「ノックの打球も捕りましたが、上達するのは(実際の)打球ですね。全然違います」と説明する。素直な打球のノックとは異なり、生きた打球は伸びたり、急失速して手前に落ちたり……。そうしたボールをひたすら追ったという。

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