高校・大学中退→リーグ消滅 窮地の連続も野球が繋いだ「縁」…元球児の“逆転人生”

「あまみグループ、ホールディングス」代表を務める林孝太郎さん
高校野球の名門校を中退、大学での挫折、所属リーグの消滅……。幾多の壁にぶつかりながらも、決して腐ることなく泥臭くグラウンドに立ち続けた。元独立リーガーで、現在は全国で9店舗の整骨院や福祉事業を展開する「あまみグループ、ホールディングス」の代表・林孝太郎さん。野球が繋いでくれた“縁”を大切にしながら、恩返しの日々を過ごしている。
林さんは中高一貫の兵庫・報徳学園に進学。中学時代はクラブチームに所属し、2002年に満を持して名門野球部の門を叩いた。先輩たちは同年の選抜大会で優勝し、夏も甲子園に出場。林さんも「いつか憧れの舞台に立つ」と誓っていたが、厳格で規律ある高校野球に馴染めず、血気盛んな少年の心は少しずつグラウンドから遠ざかっていった
誘惑に負け、野球から逃げるように退部を申し出たのは1年冬。身長163センチと小柄ながら、遠投100メートルの強肩と俊足好打が武器の有望株に期待を寄せていた永田裕治監督(現日大三島監督)から「考え直せ。戻ってこい」と、何度も説得された。だが、思春期真っ只中の16歳は「当時は誰の言葉も受け入れられなかった」と、退部と同時に高校も退学。夢と希望を抱いた高校生活は、1年も持たずに幕を閉じた。
制服を脱ぎ、手に入れたはずの“自由な時間”は思いのほか空虚だった。「頑張れない自分が嫌だった。遊んでも野球への情熱だけはずっとありました」。退学してすぐに通信制の高校に編入し、日本初の野球専門学校「アスピア学園」に入学。ブランクがありながらも、社会人の猛者たちが集う中でレギュラーを獲得した。
当時、打撃アドバイザーだった近鉄OBの小川亨氏から「大学でもう一回野球をやれ」と紹介を受け、通信制の高校を卒業後に九州産業大学へスポーツ推薦で入学。そこで「プロを目指す」と、心に再び火をつけた。だが、そこでもまた水が合わず、中退という形で大学野球の舞台から姿を消した。
報徳学園、九州産業大学を中退…辿り着いた沖縄で人生を変える出会い
大学をやめ、逃げるように辿り着いたのは沖縄。ここでの出会いが後に林さんの人生を大きく変えることになった。沖縄初の独立リーグ(Uリーグ)が発足されると聞き、トライアウトを受け合格。だが、蓋を開けるとリーグは発足からたった2か月で経営難に陥り、呆気なく消滅した。
帰る場所も野球をする場所も失ったが、「大学をやめたのに手ぶらでは帰れない」と、残された16人の仲間たちとクラブチーム「金武イーグルス」を結成した。監督には後に金武町長を務める仲間一氏が就任し、林さんは主将を担った。半年間アルバイトで食いつなぎながら、道具をかき集める日々。グラウンドは、林さんたちの熱意に心を動かされた地元・金武町の人々が無償で提供してくれた。連盟登録し、試合もできるようになった。
「監督やコーチが『もう一回、トライアウトを受けてこい。金武を代表して行ってこい』と背中を押してくれたんです」
2007年、20歳。ダメ元で挑んだ四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグスのトライアウトで合格。その後、長崎セインツに移籍し、背番号「1」を背負って「1番・遊撃」として躍動した。2009年には紀州レンジャーズへ移籍し、元阪神の藤田平監督の下でプレー。西武へ進んだ水口大地やヤクルトの三輪正義ら、NPBへ羽ばたいたライバルたちとしのぎを削った。
しかし、親と交わした「大学卒業の年齢までにNPBに行けなければやめる」というタイムリミットが迫っていた。プロの壁は厚く、自らの限界も悟っていた。西武、横浜(現DeNA)のスカウトからも注目されていたが「親との約束もありましたが、野球は十分やりきった」。23歳で、静かにバットを置いた。
引退後に地元・兵庫に戻ったが、待ち受けていたのは「野球しかしてこなかった男」という厳しい社会の風だった。「野球のキャリアなんて、社会では全く通用しない。このままじゃヤバい」。焦燥感に駆られる中、脳裏に浮かんだのは独立リーグ時代に出会ったトレーナー・布谷栄一氏の存在だった。
独立リーグを引退後、“師匠”に弟子入り…柔道整復師の専門学校に入学

現役時代、布谷氏の施術を受けた林さんの身体は劇的に変化した。遠投の距離が伸び、脚力が見違えるように向上。「トレーナーって、こんなに凄いんだ」。当時、得た感動を多くの人に伝えたいと、弟子入りを志願した。雇用制度などない厳しい職人の世界。「技術は盗め」と言われ、夜中のアルバイトで食いつなぎながら“師匠”の背中を追った。
2009年からの2年間で学費を貯め、柔道整復師の専門学校へ入学。「勉強は得意ではなかったですが、必死にやれば人は変われると実感しました」。猛勉強に励み、専門学校卒業と同時に国家資格を取得した。そして2014年、27歳で尼崎に念願の整骨院を開業。専門学校の同級生たちを集め、事業は軌道に乗った。開業から3年後、「技術を教えてくれた師匠に、どうしても恩を返したかった」と、恩師である布谷氏を会社の最高顧問として迎え入れた。
その後も快進撃は止まらない。「整骨院業界に留まらず、医療機関のなかに入り込む」という壮大なビジョンを描き、布谷氏と共に医師たちへ直談判のプレゼンを敢行。「お互いに寄り添って提携しませんか?」という熱意は実を結び、現在では8科目ものドクターと医療提携を結ぶまでに成長した。
今年4月、林さんは5000万円以上を投じ、かつて自分を拾い上げてくれた沖縄の地に整体師を育成する学校を開校した。「沖縄への恩返し」と同時に、過酷な現実を知る元アスリートたちのセカンドキャリアを支援するためだ。
「一度は野球から逃げましたが、振り返ると野球が全ての縁を繋げてくれました。周りの助けがあったからこそ、今の自分がある。高校生は多感な時期。後ろ指を刺されるようなやめ方をしたとしても、やり直せるチャンスは絶対にあります。今、唯一の心残りは高校時代に迷惑をかけた永田監督にまだ顔を合わせられていないこと。もっと一人前になってお礼を言いに行きたい」
グラウンドから離れても、林さんの勝負は終わっていない。一度はレールを外れた男が切り拓いた道は今、挫折を味わい、明日への希望を探す若者たちの新たなレールとなっている。
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