大嫌いだった高校野球で「初めて褒めてくれた」 “ガリガリ少年”の背中押した恩師の言葉

公開日:2024.01.13

更新日:2024.01.15

文:高橋幸司 / Koji Takahashi

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「都筑中央ボーイズ」会長の前田幸長さん…運命を変えた高校での師匠との出会い

 勝利至上主義、高圧的な指導……いまだ“旧態依然”のはびこる野球界に、新風を吹き込もうとする人たちがいる。First-Pitch編集部では「球界のミライをつくる“先駆者”たち」と題し、“令和の野球”のキーマンを取材。今回は、ロッテ・中日・巨人で通算78勝をマークし、現在、解説者やYouTuberなどの活動と共に、自ら創設した横浜市の少年野球チーム「都筑中央ボーイズ」の会長を務める前田幸長さん。今の指導方針につながる高校時代の“師匠”との運命的な出会いと、「伝える」ことの深意について語ってもらった。(【前編】から続く)

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 創設17年目の「都筑中央ボーイズ」には、現在122人の中学生が所属。今年には19期目の選手を迎える。月曜日を除く平日は午後4時から6時40分頃まで、週末は主に午後、横浜市都筑区にあるホームグラウンドで汗を流す。平日夕方になると、学校を終えた子どもたちが続々と集まり、指導陣と挨拶を交わすと、それぞれの課題と向き合うために練習場所へと散っていく。

 会長の前田さんは、基本的にコーチングや試合での采配は都築克幸監督(元中日)ら指導陣に一任しながらも、仕事が入らない限りはグラウンドに顔を出し、選手たちや保護者とコミュニケーションをとるように心がけている。

「基本的にヒマが嫌いで、常に何かしたがるタイプ」と前田さん。指導者の罵声が多く「息子を預けられない」と、2008年に自らチームを創設した時も、思い立ったらすぐに行動に移った。「前田幸長のチョコチャンネル」(毎週水曜日午後9時配信)を開設しYouTuberとして活動するようになったのも、コロナ禍での“自粛”がきっかけだ。元プロ選手とのコラボや、自身の技術論はもちろん、チームの選手たちも“お孫さん”も、そこには登場する。

「お金になるに越したことはありませんけど(笑)、お金が目的ではありません。子どもたちからも『反響がありました』という声があるし、喜んでくれればという思いでやっていますね」

 おしゃべりな選手、無口な選手、性格はさまざまだが、可能な限り1人1人に寄り添いたいと考える。「親御さんから、『今日、前田会長と話をしたと息子が喜んでいました』と聞くと、声をかけてあげることは大事だなと思います」。

シャドーピッチ1000回…膨大なメニューをやり続けた高校時代

現在チームには122人が所属、個々の課題と向き合う【写真:小林靖】

 指導者の言葉1つで、選手が大きく変わる可能性がある。それは、かつての自分自身もそうだった。

 福岡第一高1年の秋、今も「師匠」と慕う恩師との運命的な出会いがあった。東京・創価高を初の甲子園に導き、のちに埼玉・花咲徳栄高を強豪校に育て上げた稲垣人司さん(故人)が臨時コーチとして来校。そこで「肘の使い方が抜群だ」と褒められた。

「それまで、親父にも褒められたことがなかった。師匠が初めてでした」

 怒鳴られる、殴られるは日常茶飯事。高校野球の“縦社会”が「大嫌いだった」という前田さん。そんな中で、稲垣さんがかけてくれた一言で“やる気スイッチ”が入った。

「プロになりたいか、と聞かれたので『なりたいです』と。そこで渡されたのが、シャドーピッチングと体幹トレーニングを中心とした膨大なメニューです。シャドーだけでも1日1000回、全部終えるのに2、3時間かかるもの。『これをやればプロになれるぞ』と言われたことを信じて、本当に毎日欠かさず、黙々とやり続けました。飽きっぽい性格なのに」

 努力は着実に実を結び、高2の秋にはスカウトが視察に来るほどに成長。3年時にはエースとして春夏連続甲子園に出場し、夏には準優勝に輝いた。中学入学時は145センチ、33キロの「ガリガリだった」少年も、176センチ、63キロの立派な体格に。そして、1988年のドラフト1位でロッテに指名され、プロ野球の夢をつかんだ。

 その貴重な経験があるからこそ、かつての自分と少年たちとを重ね合わせる。

「成功は、自分ひとりの力では難しい。プロを目指すにせよ、別の仕事に就くにせよ、今後の人生で、僕らの言葉のおかげで『頑張れました』という選手が、1人でも多く出てきてくれれば。そういう思いで続けています」

大切なモットー「『教える』じゃなくて『伝える』」

「『伝える』ならば選手と同じ目線に立てる」と前田会長【写真:小林靖】

 前田さんにはプロ入り後にも運命的な出会いがあった。1995年オフに移籍した中日の“闘将”星野仙一監督。そこでかけられたのは、「技術を身に付けろ」という一言だ。

「抑えられなければ使ってもらえない。だから必死です。キャッチボール1つから、体の動かし方1つから、全部見直しました。プロで20年投げられたのも、モデルチェンジをして寿命を延ばすことができたからです」

 そこで学んだのは、自ら考えることの大切さ。だからこそ、今の選手たちにも決して“押し付け”はしない。「『教える』じゃなくて『伝える』」がモットーだ。

「成長するきっかけは作ったとしても、『教えてあげた』とか『オレの教え子』だとかは絶対に口にしない。そんなプライドはいりません。『伝える』であれば、選手たちと同じ目線に立つことができるし、受け取る側の感覚も違ってくると思うんです。『なんでできないの?』じゃ元も子もない。目線が同じなら、『じゃあ、こうしてみたら?』と声かけできる」

 ただしそこには、野球界の第一線で戦ってきたからこその、別の意味の“厳しさ”も含まれる。平日練習については、入団後しばらくは流れを説明するが、その後の練習内容は選手個々に委ねている。見ていて気づいたことも、自ら経験したことも伝える。「努力をすれば、いいことがあるよ」とも繰り返し語る。それを受けて成長できるかは、選手たち次第だ。

「『伝えたよ、あとは君たちがどうするかだよ』と。僕たちの頃は“やらされる時代”だったけれど、今はそうじゃない」

 いつか、子どもたちの“やる気スイッチ”が入ることを信じて、前田さんは言葉をかけ続ける。

「このチームがある。だから、他の自分のやりたいこともできるんです」

創設から17年、今年の募集で19期生を迎えることになる【写真:小林靖】

 創設1年目の“失敗”を糧に、現場に立ち続けてチームの歴史を積み上げてきた前田さん。「おかげさまで、やめる子も少ないし、高校の監督さんからも『都筑の選手は“野球”をわかっている』とも言っていただける。うちの監督・コーチがきちんと指導してくれているおかげですね」。

 中学1年生の柳澤匠投手に話を聞くと、「体験入部に来たら雰囲気が良かったので選びました。練習試合をしていると怒鳴り声が聞こえてくるチームも多いんですが、ここはそういうことがありません。選んで正解でした」と明るく語ってくれた。指導者の暴言が嫌で移籍を希望してくる子もいるといい、可能な限り受け入れているそうだ。

 今後については、どんなビジョンを描いているのだろうか。

「少しでもいいコンディションで子どもたちに野球をやらせてあげたいですね。照明も、もっと大きいのがあれば付けたいし、グラウンドも、イレギュラーをしないようにデコボコをなくしたい。でも、練習場があるだけでも幸せ。なかなかないチームも多いですから」

 これまで通り、畑の中のこの場所にできるだけ立ち、選手たちと同じ目線で必要なことを伝えていきたい。それが、前田さんの思いだ。

「根本には野球があり、このチームがある。だから、他の自分のやりたいこともできるんです。今は幸せだし、『オレ、いいな』って思います(笑)。僕が死んだ後でも、『前田はずっと少年野球チームやってたね』と言われるような感じでいきたいですよね。野球殿堂入りは無理でも、小・中学生の“殿堂入り”ができれば、なんてね。ハハハ」

 前田さんの“フィールド・オブ・ドリームス”に夜の帳が下りる。平日は近隣の迷惑にならないよう、午後6時40分までには練習終了、7時には完全撤収が原則だ。帰宅した野球少年たちはこの一日の学びを胸に刻み、また日が昇るごとに1歩ずつ、夢に向かって階段を上っていくことだろう。

【次ページ】【実際の動画】モットーは“教える”ではなく“伝える” 前田幸長さんのピッチング指導の様子