罵声暴言酷いなら「自分でチーム作ろう」 投じた2000万円…野球少年に“寄り添う”元G投手

公開日:2024.01.13

更新日:2024.01.19

文:高橋幸司 / Koji Takahashi

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NPB通算78勝の前田幸長さん…立ち上げた「都筑中央ボーイズ」は17年目

 勝利至上主義、高圧的な指導……いまだ“旧態依然”のはびこる野球界に、新風を吹き込もうとする人たちがいる。First-Pitch編集部では「球界のミライをつくる“先駆者”たち」と題し、“令和の野球”のキーマンを取材。今回は、ロッテ・中日・巨人で通算78勝をマークし、現在、解説者やYouTuberとしての活動と共に、自ら創設した少年野球チーム「都筑中央ボーイズ」の会長を務める前田幸長さん。横浜市にあるグラウンドでの平日練習を訪ね、チームを立ち上げた“意外な”経緯と、野球少年に寄り添う思いについて聞いた。【前・後編2回】

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 大都市の印象が強い横浜も、電車で数十分海沿いから離れるだけで閑静な農地が広がっている。市営地下鉄ブルーライン・仲町台駅から約15分、畑の間の小道を縫うように歩いていくと、西日の差す小高い丘の上からカーン、カーンと、心地良い打球音が響いてくる。そこが、前田さんが会長を務める「都筑中央ボーイズ」のホームグラウンドだ。

 現在は122人の中学生が所属し、月曜日を除く平日は午後4時から6時40分頃まで、休日は主に午後、ここに集まり汗を流す。約3000平方メートルの土のグラウンドにはマシン4台、シート打撃ケージ、最大5人が投げられるブルペン2か所などが備わる。

 とはいえ、“元プロ選手が作った”という言葉からイメージするような華美さはない。柱は剥き出しの鉄パイプ、控え場所の壁はベニヤ板、屋根もトタン張りと“手作り感”があふれている。

「資材は自分で買いましたが、あとは保護者の皆さんに手伝ってもらって作ったのがほとんどです。チーム結成当初は照明も薄暗かったですし、それこそ台風が来たら吹き飛ばされそうな施設でしたが、ようやくここまで来ましたね」。前田さんは温和な笑顔を浮かべてそう語った。

 都筑中央ボーイズを立ち上げたのは2008年。7年間所属した巨人を退団し、メジャー挑戦のために米国に渡る直前のことだ。きっかけは思わぬ理由だった。「息子を預けたいチームがなかった」からだ。

「ちょうど長男が中学生に上がる時で、近くの少年野球チームを見て回ったんですが、預けて安心というところがなかったんです。昭和的な指導? ざっといえばそうですね。指導者の罵声や暴言が多くて、これでは息子も楽しくないだろうなと」

 自身も野球少年だった頃、怒鳴られたり、時には鉄拳が飛んだりする指導を当然のように受けてきた。しかし、次世代への“負の連鎖”は断ち切らなければならない。そんな時、2004年に麻生ボーイズを立ち上げていた巨人時代の先輩、桑田真澄さんの例が頭に浮かんだ。預けたいチームがないならば、理想とするチームを「自分で作ってしまえばいい」、そう考えた。

今も糧とする1年目の“失敗”「近くで見ていないとダメなんだ」

現在は都築克幸監督(左端)ら実績豊富なコーチ陣が指導【写真:小林靖】

 そこからは行動が早かった。監督やコーチは球界のツテを使えばなんとかなる。問題はグラウンドだ。「野球をやる場所がなければ、選手も来ないよな、と。それでも、今のグラウンドのある場所を貸してくれる方が幸いにもすぐに見つかったんです」。農地を野球場として使えるようにする法的手続きも、比較的スムーズに進んだ。近所の家には菓子折りを持って挨拶に回り、練習時に音が立つことへの了承も得た。

「資金は全部で2000万円くらいかかりましたね。グラウンドもそうですし、用具もそろえないといけないし、やはり野球は用意するものが多いですから。皆さんから月謝をいただきながら、少しずつ回収していってる感じです」

 長男が所属していた学童チームに声をかけるなどして選手を集め、練習会形式からスタート。初日から50~60人が集まる盛況ぶりだった。順風満帆な船出を見届け、2008年3月、テキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ前田さんは米国へと渡った。

 ところが、1シーズンの挑戦を経て9月に帰国してみると、チームは思い描く方向には進んでいなかった。運営がうまく回らず、去ってしまった選手もいた。

「『前田さんがいないからうまくいっていない』『米国にいる前田さんは、この状況をわかっているのか』などと、不平不満もあったと思います。やはり、自分が近くで見ていないとダメなんだと、そこで気がつきました」

 その年限りで現役を退き、解説者へ転身。以来、仕事の時以外はグラウンドに来て、子どもたちや保護者とコミュニケーションを取るように心がける。「『前田が作った』という名前だけではなく、ちゃんと現場で子どもたちを見ている。それは、今でも大事にしています」。

プロからのコーチ要請は3度も…「全て断りました(笑)」

「『前田のところでやりたい』選手が来るのが一番」と語る【写真:小林靖】

 創設以来、前田さんが大切にしてきた方針がいくつかある。まずは当然、怒声罵声は“厳禁”だ。「叱ることはあっても、大きな声で怒鳴ったりしないように、ということはスタッフに伝えています。それは、体験入部の際にも保護者に説明をします」。

 現在は、日大三高で甲子園優勝経験もある都築克幸氏(元中日)が監督を務め、社会人野球や独立リーグを経験した実績豊富な指導陣がそろう。「スタッフには基本的に『見せてあげてほしい』と伝えています。実際に手本を示して、そこから選手が解決のヒントをつかんでもらえればと。あとは、専門外のことに『知ったかぶりをしない』こと。僕も左投手ですから打撃のことはわかりませんし、あくまで『投手目線だと、バッターはこう見えるよ』という伝え方をしています」。

 そして、もう1つ不動の方針がある。スカウティングや入団テストは行わず、1学年45人前後の枠を“先着順”にしていることだ。元プロのチームだから強さを求めているのかと思いきや、そうではない。

「セレクションをやるものだと勘違いされる保護者の方は毎年いますね。1学年15人程度に絞って、うまい選手を集めれば勝てるチームは作れる。でも、“そうじゃないよな”というのは初めからあったんです」

 前田さん自身、中学に入る頃はまだ体重33キロの小さな野球少年。それでも、身長は20歳頃まで伸び続けたし、高校1年の時に出会った、今も「師匠」と慕う恩師の言葉をきっかけに努力を積み、プロ入りを果たせた。心も体も、子どもはいつ大きく成長するかわからない。だからこそ、中学生の年代には勝つこと以上に、技術面を含めた“野球の土台”を覚えてもらいたいと考えている。

「それを理解した上で、『前田のところでやりたい』という選手たちが来てくれるのが一番。だから“早い者順”なんです。すでに上手な子もいれば、発展途上の子もいる。体が大きい子もいれば、小さくて細い子もいる。でも、何が起こるかわからないから、今のうちに野球を覚えておこうね、と伝えたい」

現在は122人の中学生が所属、グラウンドで汗を流す【写真:小林靖】

 こうした方針が周囲に浸透し、運営がスムーズに進むようになるまでには、帰国後さらに6~7年はかかったという。それでも、17年目を迎えた今では、野球人口減少が叫ばれる中でも毎年、入団希望者が絶えることがないチームに育った。それは1年目の“失敗”を糧に、前田さん自身がグラウンドに立ち続けていることが大きいのだろう。

「プロからのコーチの要請も3回くらい来ましたし、大学や高校からも依頼が来ましたけど、『うーん、やらない』って(笑)。全部断りました。興味がない訳ではないんですが、来てくれる子どもたちに必要とされる人間であることが、最優先ですから」

 未来を担う子どもたちに寄り添い続ける、それが「今の、僕の務めです」。前田さんはそう口にすると、また、柔らかい笑顔を浮かべた。(【後編】に続く)

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