
野球講演家・年中夢球さんの経験談、子どもの可能性を信じ抜いた結末
指導者の心ない言葉が、子どもの可能性にふたをすることを知ってほしい。リトルリーグなどで約20年、野球の指導者として活動した人気の野球講演家・年中夢球(ねんじゅう・むきゅう)さんは、あるコーチの一言で自信を失いそうだった子を救ったことがある。その子は大学まで野球を続けた。「選手に絶望を与える言い方」は許し難い。“指導者の悪”とも言える。
「お前はそこに行っても通用しない」。少年野球の指導者時代、そのコーチが次のステージを考える小学5年生に言っていた言葉を今でも忘れない。年中夢球さんは怒りを必死に抑えていた。同じ指導者として情けない。「可能性を見つけるのがコーチの仕事。『使い物にならない』『何をやっても無駄』とか、可能性を潰す指導者がいたら『お前が辞めろ』といってやりたいですね」。
確かに野球は上手ではなかったかもしれない。しかし、年中夢球さんは、その子の良さを見つけていた。休み時間に遊びで投げていたサイドスローのボールは「めっちゃいい球がいっていたんです」。投手をやらせることを決め、次の日から実行した。
本人もその両親もこの発想には驚いたようだが、強い信念が年中夢球さんにはあった。「彼は『サイドスロー列伝』というような本も読んで、勉強するようになったとその子の親から聞きました」。サイドスローの能力を発揮し、6年生の頃には、2番手投手になるまでに成長したという。
辞めなかったサイドスロー、最後まで貫いた理由
中学、高校と進み、その子は投手で野球を続けた。何度かサイドスローを辞めることを指導者に進言されたことがあったが、首を縦に振ることはなかったという。年中夢球さんは「彼は『サイドスローの才能を見つけてくれた小学校の時の指導者のために、最後までサイドで行くんですと言い続けたみたいです。私はそれを思い出すだけで、泣いてしまいそうになります」。
その教え子が迎えた高校3年の夏の公式戦。年中夢球さんは電話をもらった。
「最後になるかもしれないので、見に来てください。僕がここまで来られたのは本間さん(年中夢球さんの本名)のおかげなので」
その試合、彼はKOされ、敗れた。だが、自慢のサイドスローは最後まで貫きとおした。その生き様を年中夢球さんはその子の親と一緒に、目に焼き付けた。
指導者が可能性を信じて、導いた結果だった。
「自分なんかはその子の親じゃないですけど、なんか高校球児の親にさせてもらった気分でいます。本当に一生懸命投げてくれたんでね。大学まで野球を続けて、最後はエースになりました。少年野球の時は一番、泣いていた子。あんなに泣き虫だったのに……」
その子の両親にとっても、年中夢球さんにとっても、高校球児が“孝行球児”になった忘れられない夏となった。
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