投手失格「使えません」に焦り 手の皮ベロベロ…死に物狂いで掴んだ“自分の正解”

公開日:2024.02.22

文:喜岡桜 / Sakura Kioka

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元阪神・糸井嘉男氏が野球教室登場…小・中学生に伝えた「配置転換の経験」

 本人の適性やチーム事情により、自分の希望とは違う守備位置を担う必要性に迫られることがある。18日に大阪府堺市にある天野山グラウンドで開催された野球教室「RAXUS × Amazing ベースボールフェスタ2024」でゲスト講師を務めた糸井嘉男氏も、プロ3年目にコンバートを経験。2003年に投手として日本ハムに自由獲得枠で入団するも、2006年からは外野手登録となった。関心がなかった役回りにも「挑戦していく中でそのポジションを好きになってくるし、魅力を感じてくるものです」と語った。

 この日行われた野球教室には、小学5年生から中学3年生まで約130人が参加。野球塾「Amazing」の廣畑実代表、名古屋校・水本弦塾長の“大阪桐蔭元主将コンビ”の講師陣から、技術やトレーニングなどの指導を受けた。糸井氏はバッティング指導を担当し、子どもたちからの質問にも快く応じていた。

 糸井氏のようなテレビに映るスポーツ選手、漫画のキャラクターなどと同じポジションに憧れたことはないだろうか。しかし、その守備位置に適性がなかったり、同じ守備位置を志望する選手が複数人いたりするなどのチーム事情から、必ずしも希望通りのポジションに就けるわけではない。希望と現実の不一致に戸惑ったり、不満を抱いたりすることもあるかもしれない。

 そんな悩みに、コンバート経験者の糸井氏はこうアドバイスを送る。「みんながみんな、野球に限らず、好きなことをできるわけじゃない。けど、それが最初のとっかかりになると思うんです。任されたポジションの中で、まずは自分が挑戦できることを見つけること。僕も日本ハム時代に野手になって、できることから挑戦していった。そうしたら(新しいポジションのことも)好きになってくるんだなと思いましたね」。

 野手に全く興味がなかった少年時代。「『野球=ピッチャー』だと思っていたんで、外野手なんて一切考えてなかった。練習もしたことがなかったです」と振り返る。しかし、投手としてプロからドラ1の評価を得るも、2軍で過ごした2年間の成績は36試合8勝9敗3セーブ、防御率4.86。首脳陣からはっきり「使えません」と告げられた。

プロ3年目で「ゼロからのスタート」…外野手を“正解”にした奮励努力の過去

笑顔で子どもたちと集合写真を撮る糸井氏【写真:喜岡桜】

“投手失格”を言い渡され、外野手へのコンバートの打診を受けた。プロの世界の厳しさを痛感した焦りと同時に「この道(プロ野球界)で生き残りたい」という強い思いがあったという。

「ゼロからのスタートなのでほんまに死に物狂いでしたね。生活の100%が野球になりました。手の皮がベロベロになるまでバットを振りましたし、みんなが帰って寝ている時間でも練習していたり。そのくらいしないとみんなとの差が縮まらない。野球が好きですから。終わりにしたくないって気持ちがありましたね」

 野球は9つのポジションがあるチームスポーツだ。それぞれの守備位置に、そこでしか感じられない楽しさがある。糸井氏はコンバートをきっかけに外野手に関心を持ち、追究し、2022年に阪神で18年間の現役生活を終えるまでに5度のベストナイン、7度のゴールデン・グラブを受賞している。さらにバッティングでも野手転向9年目を迎えた2014年に、オリックスの4番を務めながら首位打者に輝いた。

 いくつもの功績は、「超人」と称される高い身体能力だけでは成しえなかった。

「なにが正解かはわからないです。でも、その場(ポジション)を“自分の正解”と思えるほど努力することは大事ですね。最初は好きじゃなくても、自分で突き詰めていくことで好きになっていくことがあるので。まずはチャレンジ。子どもたちはまだ可能性がいっぱいじゃないですか。いろんなことに興味を持って、挑戦をしていってほしいですね」

 野球教室の最後には廣畑氏、水本氏とのホームラン競争も実施され、子どもから大人まで糸井氏が放つ特大弾に目を輝かせていた。「みんなも野球好きやろ?」。うなずく少年少女へ、挑戦すること、努力することの大切さを説いていた。

【次ページ】手の皮消えるほどの努力…糸井嘉男さんが小・中学生に伝える“逆境”の乗り越え方

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