監督の一言で外野手から投手に転向も「捕手の返球の方が速い」

「打てない、守れない、ルールを知らない。3拍子揃った新入部員でしたから、周りからは『なんだこいつ?』ってなるのは当然だった。今で言う軽いイジメ的な、邪魔者扱いを受けていた。始めの1か月は楽しくはなかったですね」

 当時はイチローに憧れて右翼のポジションに就いていたが「当時の監督から『投手をやってみないか?』と言われたのが転機でした」。左投左打。投げることは得意だった前田さんは、投手に転向したことで初めて野球の楽しさを知った。

 外野手を早々に諦め、入部から2か月後の6月から投手練習に参加。「今考えると古典的な練習で回数も異常でしたが毎日、楽しかった。苦に思ったことは一度もなかったです」。毎日欠かさず長距離、短距離のランニングメニューをこなし、ノルマだった400回~500回の腹筋、背筋も必死に食らいついた。

 投手を始めた頃は「捕手からの返球の方が速い」と揶揄されていたが、半年後には試合のマウンドに立っていた。最速90キロだった直球は中学3年を迎える頃には132キロまでアップしていた。「特別なことはしてません。練習を疎かにせず土台ができた結果。続けることの大切さを学びました」。

 進学の際は野球推薦は頭になく、地元の公立・富田林高校を選んだ。激戦区の大阪。甲子園やプロ野球への思いはあくまでも夢の話。一番下手だった野球少年は努力を続け成長したが、高校入学時はまだ“普通の左腕”として純粋に野球を楽しむだけだった。