大学で野手転向→27歳でドラフト指名 選抜V腕が痛感…打者に必要な“自分の見極め”

文:内田勝治 / Katsuharu Uchida

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鹿実で選抜V…下窪陽介さんは日大で外野手に転向した

 1996年選抜高校野球大会で鹿児島実業のエース、下窪陽介さんは大会中に2段モーションを注意され、1段モーションへフォームを修正。優勝投手となった。夏の鹿児島大会も制し、春夏連続で甲子園出場を果たしたが、右肩を痛めるアクシデントに見舞われた。大学では途中から外野に転向し、社会人を経て横浜(DeNA)入りした。打者として成功する要素に「自分がどういう選手なのかをいち早く知ること」をあげる。社会人にその答えを見つけ、才能が開花したという。

 鹿実のエースとして春夏連続で甲子園出場を果たした下窪さん。しかし、夏の鹿児島大会優勝後、休日明けの練習では右肩の痛みでキャッチボールすらまともにできなくなっていたという。「痛くて投げられないというのはそれまでありませんでした。最近よく思うのは、2段モーションと1段モーションのズレが原因でそうなったということ。左足がマウンドに着いた時に、右腕が2段モーションの時のように上まで上がり切れていなかった。無理して上まで上げようとして投げていたから、右肩に負担がきたんじゃないかなと思っています」。

 夏の甲子園では右肩痛を押して登板も、本来の球威にはほど遠く、準々決勝の松山商(愛媛)戦で2回までに4点を失うなど、5失点敗退。進学した日大でも当初はリハビリの日々を過ごした。完治こそしたが、足が速かったこともあり、鈴木博識監督(当時、現茨城・鹿島学園監督)からは投打の二刀流を勧められた。

 それまで投手しか経験してこなかった下窪さんにとって、野手は未知の世界。打撃に関しては、バットを振る量を増やすとともに、同級生だった尾形佳紀さん(現広島スカウト)らにタイミングの取り方や狙い球の絞り方、足の上げ方などを聞き、対応に努めた。

【次ページ】「まずは自分がどういうタイプのバッターなのか知ること」

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