サンタにお願い「ブルペンほしい」 中日・山本拓実が167cmでもプロになれた訳
2017年ドラフト6位で中日入団、父・勝三氏が語る息子の幼少期
小さな体でもプロ野球選手になれる、150キロの直球が投げられる。今季中継ぎで30試合に登板し、1勝0敗、防御率3.60の成績を残した中日・山本拓実投手の姿を見て勇気づけられる野球少年たちも多いだろう。身長167センチの小柄な体から繰り出される剛速球、気迫満点のマウンドさばき。そこに何か秘密はあるのか、幼少時代はどうだったのか。山本投手の父で、かつて軟式少年野球チーム・仁川ユニオンズの監督も務めていた山本勝三氏に聞いた。
山本投手は宝塚市立仁川小時代に仁川ユニオンズに在籍し、6年生時には兵庫県大会優勝を成し遂げた。その当時、監督だったのが勝三氏だ。「息子が小学1年生から入って、最初はお手伝いをしていたんですが、その後、コーチになり、監督をやらせていただきました」。勝三氏も野球経験者で大教大4年春には、近畿学生野球リーグで首位打者のタイトルも獲得していた。周囲が指導者として白羽の矢を立てたのも自然の流れだったようだ。
ただし、子どもをプロ野球選手にすることを意識して、特別に指導したことはないという。強いて言えば「幼稚園のときから風呂から上がったあと、寝る前に股関節や肩周り、手首とか柔軟をしっかりやりなさいということだけは言いました」。その基本的なやり方は教えたが「これは野球をやる、やらないに関わらず、小さいときからやっておくことは故障につながりにくい体をつくるとか基礎中の基礎なのでね」とさらりだ。
そもそも、勝三氏は野球を勧めてもいなかった。「2003年に阪神が優勝したとき、テレビで見て息子が自分で野球にはまっていったんです。赤星選手のスライディングをまねしながら、家の中とか外で遊んだり……」。とにかく野球が好き。公園に連れていけば遊具などには目もくれず、ずっと野球。投げて打っての繰り返しで、もう帰ろうといってもなかなか帰らなかったそうだ。
家の前では、ボールを壁にぶつけての一人野球。「グラウンドやスコアボードを書いてPL―阪神とか仮想野球ゲームみたいなものもやっていましたよ」。すべて子どもの自発的な動きが優先されていた。「やれって言ったことは一回もないです。いつまで外でやってんねん、やめろって怒ったことはありましたけどね」。
拓実少年は阪神・藤川の火の玉ストレートに憧れ、投手にも興味を持ち、小学3年生のときはサンタクロースへのお願いで「ブルペンがほしい」と言いだした。勝三氏は「土地が高いからサンタさんも難しいんじゃないか」「靴下の中に入らないやろ」などと言ってごまかし、最終的にはスポーツセンターのブルペンに連れて行き「ウチになくてもここまでいけば」と話して納得させた。