
山梨・甲斐JBC 今夏のマクドナルド・トーナメント出場
2つの失敗を教訓にして、チームを全国の舞台に導いた。今夏に「高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会 マクドナルド・トーナメント」に出場した山梨の学童野球チーム「甲斐JBC(ジュニアベースボールクラブ)」の中込裕貴監督には、忘れられない失敗が2つある。その反省を現在の指導に生かし、結果を残している。
甲斐JBCは今夏、“小学生の甲子園”と呼ばれるマクドナルド・トーナメントに出場した。全国の限られたチームしか立つことのできない舞台。チームを率いる中込監督には喜びや安堵と同時に、苦い記憶もよみがえった。
昨夏、甲斐JBCは山梨県大会の準決勝で敗れ、全国への切符を逃した。県大会で優勝するため、どのチームよりも練習し、選手に愛情をかけてきた自負が中込監督にはあった。平日と土日の全体練習だけではなく、当時6年生だった息子に加えて、チームメートも自宅に呼んで朝練もした。仕事以外の時間は全てと言っていいほど、チーム強化に注いだ。しかし、県の頂点には届かなかった。なぜ、結果を残せなかったのか。今になると、その理由が分かると指揮官は話す。
「自分の息子と全国に行きたい思いも強かったですし、他の選手たちにも熱く指導しすぎました。異常な情熱だったと思います。選手への要求は厳しくなりますし、チームが上手くいかない時に苛立ちを抑えられませんでした。卒団式の時は、1人1人のストーリーや思い出が濃すぎて、話ができずに泣いてしまうくらいでした」
中込監督は練習や試合後、自宅に帰ると反省や自己嫌悪の連続だったという。選手を怒ってはいけないと分かっていながら、口調は強くなり、声も大きくなる。全国大会に連れて行きたい気持ちが強すぎるあまり、満足のいかないプレーに対して焦燥感が募った。中込監督は、こう振り返る。
「もちろん手を上げることはありませんが、指導が熱くなりすぎると逆効果だと知りました。試合中は私の存在が選手にプレッシャーとなってしまい、大事な場面で力を発揮できませんでした。私の余裕のなさも伝わってしまいました。昨年のチームの選手たちには申し訳ないことをしたと反省しています」
過度な情熱は逆効果…選手には根拠を示して冷静に指摘

昨年まで所属していた現在の中学1年生は、中込監督から愛情や情熱を感じていた。卒団してもグラウンドに遊びに来る選手は多い。監督の車のナンバーを中学で入ったチームの背番号に選んだ選手もいる。ただ、指揮官は指導方針を変える必要性を痛感した。今年のチームが始動した際には、周囲から「えらく変わった」「おとなしくなった」と言われたほどだった。中込監督が語る。
「息子が抜けたこともあって肩の荷が降り、冷静に選手との向き合い方を考えられるようになりました。今年も選手たちが目標とする全国に連れて行きたい気持ちは変わっていませんが、焦りからくる苛立ちを抑えられるようになりました。感情で叱るのではなく、根拠や理由を示して選手に課題を伝える意識を徹底しています」
指揮官の変化によって、チームも好転した。昨年よりも安定して結果を残せるようになり、今夏にはマクドナルド・トーナメント出場も果たした。そして、もう1つ、中込監督には現在の指導に生かしている失敗がある。選手だった高校生時代の苦い経験だ。
中込監督は野球を始めた小学生の頃から、走攻守全てで突出した存在だったという。高校は山梨県の名門・東海大甲府に進学し、1年生から二塁手のレギュラーを獲得。同級生や先輩がスタンドから応援する姿を見て、「高校野球は余裕」と感じていた。
東海大甲府では、チームメートの多くが寮生活を送っていた。中込監督も指導者から入寮を勧められたが、実家からの通学を選んだ。当時を回想する。
「寮に入ると自主練習の時間があり、食事も決められたメニューになります。好きなものを好きな時間に食べたかったですし、何よりも遊ぶ時間がほしかったです。監督には『自宅で練習しているので寮に入らなくても大丈夫です』と伝えていましたが、実際は部活が終わったら遊び回っていました」
東海大甲府で1年からレギュラーも…最後の夏は控えで出場なし

コツコツと努力を続けるチームメートは、着実に力をつけていく。いつしか、中込監督のアドバンテージはなくなっていた。高校最後の夏、与えられた背番号は「14」。役割は三塁コーチャーで、試合に出る機会はなかった。チームもベスト4で敗れ、甲子園出場は果たせなかった。高校野球が終わった瞬間の記憶は今も鮮明に残っている。
「高校1年生の時は負けるはずがないと思っていた同級生たちに、どんどん抜かれていきました。私は足が速かったので小技や走塁は得意でしたが、トレーニングをさぼっていたのでフィジカルの弱さが致命的でした。準決勝で負けた瞬間、自分は3年間何をやっていたんだと情けなくなりました」
時間は巻き戻せない。中込監督は後悔で押しつぶされそうだった。ただ、同時に失敗を無駄にしたくない思いもわき上がった。「いつかは自分の経験を周りに伝えて、同じ後悔をさせない生き方をしてほしい」。そのチャンスは、高校を卒業して20年ほど経った4年前に訪れた。甲斐JBCで小学3年生のチームを率いる監督に就任。昨年からは6年生を中心としたトップチームの監督を務めている。
「選手たちにはウサギとカメを例に出します。自分はウサギで、コツコツと頑張るカメに最後は負けたと。絶対に自分みたいにはならないようにと繰り返し話しています。失敗談を話すのは恥ずかしい部分もありますが、選手には響いていると思います。それに、甲斐JBCのコーチには“カメ”もいますから」
中込監督が“カメ”に例えるのは、志澤幸三郎コーチだ。2人は同級生で、同じ地区にある少年野球のライバルチームでそれぞれキャプテンをしていた。中込監督によれば、「当時はライバルにならないくらいの実力差があった」という。ところが、志澤コーチは努力を続け、2人の立場は逆転した。山梨学院に進学した志澤コーチは3年生の夏、3番打者として甲子園に出場している。中込監督が語る。
「東海大甲府で1年生からレギュラーになった私を見て、その悔しさから幸三郎は毎日バットを1000回振ったそうです。今、私は選手たちに『目指すべき存在は志澤コーチ』と伝えています」
「センスは努力に勝てない」…選手時代の失敗を指導の糧に

中込監督にとって高校時代は思い出したくない記憶でもある。しかし、「あの時間があったから、指導者としての今がある」と前向きに捉えている。高校1年生でレギュラーになり、そのまま苦労や挫折も知らずに3年生まで主力で活躍していたら、自慢話ばかりの指導者になっていたかもしれない。
「野球センスは努力に勝てません。コツコツと努力を続ける選手が最後は勝ちます。遊ぶ時間は大人になったら、いくらでもあります。でも、少年野球や高校野球の期間は限られています。選手たちには今を大切にして、後悔しない野球人生を歩んでもらいたいんです」
過去には決して戻れない。ただ、過去の失敗や後悔を教訓にして、今や未来を生きる次の世代に伝える役割は果たせる。
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