高校では陸上部に「バイトをするとかに憧れていたんです」

高校時代について語るロッテ・和田【写真:羽鳥慶太】

 小川高では、1年生の間は何らかの部活動に入らなければいけないというルールがあった。そこで選んだのが陸上部だ。もともと足には自信があったが、「もっと速くなりたくて」インターネットの動画を見て、陸上選手の走り方を研究した。短距離からやり投げ、砲丸投げまでひと通りの種目を試した後に取り組んだのが、走り幅跳び。6メートル45センチを跳び、埼玉県で15位に入ったという記録も残っている。

 ここで、仲間の存在が和田を再び野球に引き戻す。山村国際高に進んだ中学校のチームメートが、1年生の夏からベンチ入りを果たした。夏の埼玉大会、初戦の相手は強豪の花咲徳栄。テレビ中継を見ていると、ベンチにいる友の姿が何度も目に入った。「楽しそうだな」。もう一度、野球をやってみたいという気持ちが湧き上がった。

 高校の野球部に入るという選択はしなかった。人数が少なく、活動があまり活発でなかったこともある。父に「野球をやりたい」と相談すると、仕事仲間がプレーしていた社会人クラブチーム「都幾川硬式野球倶楽部」の存在を知った。最初は遠くから練習をのぞきに行った。高校野球なら、最上級生でもせいぜい2歳違い。ところがクラブチームには40代の選手もいる。「みんな年上ですからね。最初は気まずさもありました」。ただ大学生や、1人だけ同じ高校生も所属していた。2年目からは中堅の定位置をつかみ、全日本クラブ選手権予選などの公式戦にも出場した。

 土日のクラブチームの練習と、活動時間がかぶってしまう陸上部は1年生の冬に退部した。「そこからは帰宅部ですよ」。念願のアルバイトもした。それでも野球の神様は、和田のことを見ていたのだろう。都幾川倶楽部の先輩から、BCリーグの武蔵に進む選手が出た。和田は独立リーグの存在を知り、トライアウトを受けてみることにした。高校3年生の秋、受験勉強を進める裏で、グラウンドに向かった。

「自分の力は底辺なんだろうなと思っていました。ただ実際に行ってみたら『思ったよりいけるんじゃ』と感じましたね」

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