栗山巧の衝撃打棒が転機「決心ついた」 元西武右腕が感謝する“メッタ打ち” 

更新日:2025.11.26

文:橋本健吾 / Kengo Hashimoto

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2005年大学・社会人ドラフト5巡目で西武に入団した山本歩さん

 松井稼頭央新監督が今季から指揮を執る西武が最後に日本一を手にしたのは2008年。当時の“中心メンバー”として活躍していた栗山巧、中村剛也、中島裕之、涌井秀章、岸孝之は現在も現役でプレーしている。

「1軍で一緒になることは少なかったですが、凄いメンバーと野球ができた。当時から長くやるんだろうなと思っていたましたけど、まだ現役でやっているのは尊敬する。今も陰ながら応援しています」

 こう語るのは2005年大学・社会人ドラフト5巡目で西武に入団した山本歩さんだ。準硬式出身として話題になった最速144キロの変則サイド右腕は、2007年には1軍で5試合に登板した。2009年に現役を引退したが「同世代の選手たちが多く、プロ野球の厳しさも教えてもらった」と振り返る。

 特に印象に残っているのは同級生の栗山、中村だという。山本さんは高校時代に兵庫・三田学園でプレーしており「育英(兵庫)の栗山、大阪桐蔭の中村は同じ関西でしたが、雲の上の存在だった」。関学大での4年間を経て同じプロの舞台に立ったが「栗山は努力の塊。中村は天性の打撃。両極端の2人でしたが『こういう選手が一流になるんだ』と感じていました」と、飛びぬけた存在だったことを明かす。

サイドスロー転向のきっかけは栗山「投手としてのプライドはズタボロ」

 山本さんが1年目の2006年。1軍で栗山は63試合で打率.268、中村は100試合、打率.276、9本塁打と、レギュラーへの足がかりになるシーズンを過ごしていた。2軍で一緒になる機会もあり、投手と野手の違いはあったが「とにかく練習する。体の強さは凄かった」。試合で無安打に終わった日は当時の田辺徳雄2軍打撃コーチが付きっきりで、日が暮れるまでバットを振っていたという。

「その光景が今でも目に焼き付いています。栗山が永遠にバットを振っていると、それを横目に中村も続ける。『アイツがやるなら俺もやる』みたいな感じで。切磋琢磨しながら1軍、一流に駆け上がっていった」

 栗山には今でも感謝していることがある。まだ、オーバースローだった高校時代に1度だけ練習試合で対戦。右翼席へ弾丸ライナーの一発を浴びるなど4打数3安打と打ち込まれた。内角の厳しいコースにどれだけ投げても、ピンポン玉のように弾き返されたという。

「投手としてのプライドはズタボロ。これじゃ通用しない。サイドスローになる決心がついた試合。ある意味、プロ入りできたのは栗山に打たれたおかげかも(笑)。入団してから当時の話をしたら本人は覚えていませんでしたが、今ではいい思い出です」

 現役引退後は大手化学メーカー「クラレ」で働く山本さん。今でも西武時代に関わりのあった選手たちを応援している。「栗山、中村もそうですが中島さん、涌井、岸らは当時から“壊れない”体の使い方をしていた。パッと見て、分かりました。これからも活躍する姿を見せてほしいです」と、共に戦った仲間たちを応援し続けている。

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