ロッテから2位指名、期待の池田来翔内野手(国士舘大)が初のプロ選手
千葉の名門、創部10年の京葉ボーイズは昨年のドラフト会議で初めてプロ野球選手が誕生した。ロッテからドラフト2位で指名された池田来翔内野手(国士舘大)だ。進路に関わることを届けるFirst-Pitchの連載「セレクトデザイン」で、関口勝己監督に池田がどのような少年時代を過ごしてきたのかを伺った。
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池田来翔くんがプロ入りしたというのは感慨深いですね。京葉ボーイズでは中学生に対して社会人と同じ最先端といえる野球理論で指導をしており、上のレベルに行っても通用する野球を教えているという自負があります。いずれはプロ野球選手を輩出したいと思っていましたから、創部10年目、3期生でプロ1号が出たというのは順調といえるんじゃないですかね。
池田は小学生の時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選ばれていてセンスのある子ではあったんです。ただ中学では2番打者でバントしたり、右打ちしたりっていうタイプだった。とんでもなく打球を飛ばすとか、守備がめちゃくちゃ巧いとか、とんでもなく足が速いとか、そういう目立った特徴はなかった。それでもプロに行けたのは、体がデカくなったのが大きいでしょうね。
中学3年生の時に身長は167センチ、体重も60キロあるかないか。高校に入って背が180センチくらいまで伸びたんだけど、まだまだ線が細かった。大学に行ったら体重が15キロ近く増えて、タテが伸びて、ヨコも大きくなって、体ができた。中学時代は50メートル6秒7くらいだったのが、体重が増えたのに今は6秒フラットで走るっていうんだから、ちゃんと筋肉がついているということですよね。体ができれば、京葉ボーイズで徹底して教えた基本動作がより生きてくるわけです。
池田は父親がNTT東日本にいたということもあって、高校は地元の強豪、習志野に、大学は私の母校の明治大、そして父親がプレーしたNTT東日本で野球をするというのが目標だった。でも習志野では甲子園には出られなくて、明治にも入れなかった。それで大学は東都2部の国士館に行ったんですが、1年生からレギュラーで試合に出してもらえた。池田は実戦をこなしながら上達していくタイプだから、この進路選択は大正解。もし六大学や東都1部に行ってたら試合に出してもらえたかどうか。プロになれたかどうかもわからないですよ。
池田と同じ学年にいいキャッチャーがいたんですが、彼は身長が中学3年で178センチくらいあって、バッティングがすごく良かった。何よりセカンド送球が捕ってから1.9秒くらいで、ボーイズ日本代表に選ばれて世界大会に出るくらいの実力があった。もし京葉ボーイズからプロ1号が出るとした池田じゃなくて彼じゃないかと思っていたくらいです。
でも、高校が合わなかったんですね。高校で野球を辞めますっていうんで、いいもの持っているんだから頑張れと励まして、結局、社会人野球に進みましたけど、別の選択をしていれば今頃、プロに行っていたかもしれない。どこで野球をやるのかというのは将来を左右する重要な問題ですよね。当時は創部間もなくて、高校の情報があまりなかったとはいえ、進路指導をしきれなかったことについて忸怩たる思いはあります。
(First-Pitch編集部)